行列のできる山、大菩薩嶺


トンネルを抜けるとそこは甲府盆地

晴天が約束された6月23日の土曜日、かねてより歩いてみたいと思っていた大菩薩嶺を訪ねることにした。昨年11月、石丸峠を越えたとき、近くに大菩薩嶺を見上げ、是非一度訪ねてみたいとの思いを抱いていた。大菩薩嶺へのアクセスはいろいろあるが、裂石登山口→丸川峠→大菩薩嶺→大菩薩峠→上日川峠バス停という周回コースを設定した。概算で登り1200m、下り500mだ。どうせいくならこのぐらいは登らないと。道中にある介山荘、福ちゃん荘にも興味がある。列車が笹子トンネルを抜け甲府盆地に入ると、遠くに南アルプスが展望できる。ここは甲州だ。塩山発7時35分発のバスに揺られ、8時すぎに登山口バス停に到着。乗客も15人程度しかいない。静かなスタートとなる。
朝の塩山駅。右がバス停。

バス終点、「大菩薩登山口」

まずは丸川峠へひたすら登る

バス終点とはいえ、そのまま舗装道路を裂石登山口まで歩く。途中左手に「大菩薩峠」の作者、中里介山が逗留したという雲峰寺の石段が見える。彼は小説の舞台である大菩薩峠の古刹で構想を練った。彼の執筆への執念を感じると同時に作品のリアリティーの根源を見たような気がした。裂石登山口に到着したのが8時30分。ここで道は道路からはずれて登山道となる。さあここからが本番だ。登山道はいきなり広葉樹林の尾根登りだ。
こんな暗い尾根道を登る



木々の間から垣間見れる大菩薩嶺とおもわしき尾根はまだまだ遠くだ。しばらくはこの登りが続くことを覚悟。地図にも「急坂」と書いてある。まずは丸川峠まで頑張るしかない。それにしても単調な登りだ。途中、ベンチも道標もない。コマドリの囀りに励まされ、休まずに登り続け、コースタイムと同じ1時間50分で丸川峠に到着。ここは一転して一面の草原だ。展望がいっきに広がる。草原に流れるそよ風が気持ちいい。片隅に青色の小さな丸川荘がある。出入りする客も見当たらない静かな佇まいだ。
丸川荘

丸川峠より見返すと薄っすらと富士が見えた

あえぎながら大菩薩嶺へ

この丸川峠までまで標高差800メートル。どうも今日は調子がでない。息切れが激しい。多分、今週は酒席続きだったせいか、やはり山登りはその時の体調が如実に現れる。以前にも寝不足でフラフラになって歩いたことを思い出す。この先、大菩薩嶺まではさらに400メートル登らなくてはならない。が、ここまで来たなら行くしかない。ゆっくり歩いても昼ごろには着くだろう。
小さい可憐な花

山頂は大賑わい

丸川峠から大菩薩嶺まではコメツガの原生林のなか、ゆるい登り道が続く。息切れ、動悸にあえぎながら歩くも、コメツガから発せられるマイナスイオンに癒される。休憩をかねて所々に咲く小さな可憐な花をパチリ。コースタイムより10分遅れで山頂に到達。
大菩薩嶺山頂に到達。あまり感動はない。

山頂といっても木漏れ日の射し込む林の中に標識が立てられているだけ。これが山頂?100名山でなければ何の魅力もない。ところがこの標識を囲み大勢の人が順番に記念撮影をしている。大変な混雑だ。後から後からどんどんと人が登ってくる。元気な歓声が辺りに響く。荷を持っていない人もいる。まるでこの近くに観光バスがj来ているようだ。これまでの静かな山がまるで回転舞台のように一転した。しばし人々を眺める。山頂の片隅でランチを取りながら下りコース確認をする。この人たちと一緒に下るのは気が進まないなあ。しかし、いくら検討しても彼らと上日川バス停に下りるしか選択肢はない。しょうがない、覚悟を決めて下りはじめる。


行列して順番に記念撮影

展望がいっきに広がる

次々に登ってくる人とすれ違いながら下ると、急に目の前に大きな広場と展望が開けた。遠くには霞のかかった富士山も見える。すぐ下には下山先の上日川峠。この広場で大勢の人々が展望を楽しみながら休憩をとっているではないか。これですべて理解できた。山頂で騒いでいた人たちはここに荷をデポして歩いてきたのだ。彼らがなぜ身軽で元気だったのかようやく判った瞬間だ。それにしてもこんなに元気な人で溢れいる山も珍しい。ここは100名山、展望、晴天、仲間、家族、ランチ、など楽しい要素が盛りだくさんのところだ。誰でもここに来ればハッピーになれるのだ。但し私を除いて。
急に展望が開けた。遠くに富士も見える。


皆このように荷をデポして山頂に向う

.

大菩薩峠へ

場違いなヘトヘトの年寄りがトボトボと明るく元気な人々に混じって歩く。が、尾根は広いため先ほどまでの混雑はない。先のほうを見下ろすと大勢の人でにぎわう小屋が見える。あれは有名な介山荘に違いない。介山荘の建つ地点が大菩薩峠である。少し遠回りだが、介山荘経由で下ることにした。雷石、賽河原などポイントを通過し、介山荘に到着。食堂も売店も大賑わいだ。今日は書き入れ時にちがいない。この小屋は通年営業とのこと。私は、むしろ冬の介山荘に訪ねてみたいと思った。雪に囲まれた介山荘はきっと静かなことだろう。
介山荘、小屋前は大賑わい。

2000mポイントに立つ人

昔の大菩薩峠である賽の河原にて。旅人はこのようにして峠を越したのか

上日川峠へ

この先、介山荘から上日川までは道はよく整備された緩やかな坂道だ。ここを登ってくるなら確かに楽だ。だからみんな元気だったのだ。下ること30分で福ちゃん荘に到着。かってこの福ちゃん荘で赤軍派は首相官邸を襲撃するため合宿しているところを一網打尽に逮捕されてしまった。赤軍派壊滅の瞬間だ。赤軍派と福ちゃんのアンバランスな名は記憶に残る。いまでこそ自動車が登ってこれるが、当時は下の裂石から機動隊が歩いて登ってきたに違いない。
福ちゃん荘

福ちゃん荘からさらに下り25分ほどで上日川峠バス停に到着。そこから満員のバスに揺られること1時間で甲斐大和駅に到着。駅のベンチでランチの残りを食しながら大菩薩から一緒に下りた人々と上り電車を待つ。
上日川峠バス停、3台のバスはすべて満員になる。

0 件のコメント:

コメントを投稿